第百話 悲しみの果て

「ヨウスケのお母さんにならないか?」

オトンが女を口説きまくっとるらしいんですよ、
口説き文句が冒頭のセリフ。
ホンマにやめてほしい。
しかもボクよりも年下の若い娘口説いとる・・・。
年下のお母さんできたらどんな気持ちになるねん!

だいぶ嬉しいんちゃうんかい!

あ、間違えた!
すごい気まずいんちゃうんかい!
もう大人でよかったですよね、ボクも。
これね、中学とか多感な時期やったら絶対ぐれてますよ、
ボクはもう大人なんでオトンのことをちょっと軽蔑するくらいですんでいます、
これが中学とか多感な時期やったら美味しんぼで言うところの海原雄山山岡士郎の関係になってますって!
(美味しんぼで言う必要全くないんですけど美味しんぼで言います。)
ただ美味しんぼのあの父子の関係ってゆうのは、
山岡、雄山の何度かの対決と、
何度かのキャラ設定のシフトチェンジを経て、
お互い認めるとこは認めあいながらの憎しみじゃないですか、
(皆さんご存知の通り)
ボクの場合、あのオッサンに認めるとこなんて皆無なわけじゃないですか、
いや、オカンが亡くなって来月で二年。
一番悲しくて淋しいのはオトンなわけです。
わかってるんです、
あのオッサンの女をはべらせての目に余る酔態や醜態も、淋しさ、悲しみの裏返しやってゆうこと。
しかしなんですよね、
悲しみの裏側があまりにもひどすぎる、
悲しみの裏側がこれですよ、

「ヨウスケ ノ オカアサン ニ ナラナイカ ?」

どんなリバーシブルやねん!
どんなリバーシブルになっとんねん!
喪服を裏返してみたら『祭』って書かれたはっぴになってる、ってどんな服やねん!
ほんで最近では裏側が全面的に出過ぎやねん、
バランス!
悲しみをちら見せくらいせえよ、
淋しさ、ちら見せくらいしてこいよ、
えっ?もう悲しくない感じ?
乗り越えちゃった?

何を平気で乗り越えとんねん!

こないだも『研修旅行』言うて二十歳そこそこの女の子と二人で長崎いっとんねん・・・
何を研修してるんだか!
腹のたつ!
ほんでカステラくらい買うてこいよ!
(ざらめのついたヤツ!あれが美味しいんや!)
カステラ買うのも忘れるくらいルンルンか?
長崎行ってカステラ買うてこうへんて相当やぞ!

知りたくなかった。
悲しみの果てに何があるかなんて。

終わりに:
と言っても、ボクも大人。
オトンが本気で愛した女(ヒト)ならばお母さんと呼ぶ準備はできてます。
ボクは親子の関係は密に、と思っていますので、
新しいお母さんとはお風呂などご一緒してよい親子関係を作っていけたらな、なんて思っています。
やはりボクも大人とは言えまだまだ甘えたい盛り。
新しいお母さんには思う存分甘えるぞ!
なんて思っています。
と申しますのも、いくら籍を入れたからといえ、
松井家の一員になるのはまだまだ難しいでしょうし、
そこは息子とね、裸の付き合いをしてですね、
いや、イヤらしい意味なんて全くなくてですね、
息子の息子は全く黙っていますし・・・ゴニョゴニョゴニョゴニョ・・・
ボクの息子は全くもって行儀のいいヤツですし・・・ゴニョゴニョゴニョ・・・