第256話 キチュウ大論争
カオス玉造。
今宵のペヨーテ(というバー)もカオスが渦を巻く。
事の発端は先日あうんさんすうじぃ氏(という歌手)がキチュウ氏(という・・・何?)のライブを見た後に発した一言であった。
「キチュウ、俺は嬉しい。オマエもやっと自分のダサさに気づいてこういうちゃんとダサい新曲をひっさげてライブに臨むようになったのやな」
すうじぃ氏曰く、
キチュウ、オマエは今まで自分がかっこいいことをやってるという気で歌をうたっていた、
しかし、今日の新曲を聞いて俺は嬉しい。
ちゃんとダサい歌を作っているやないか。
自分のダサさを演出できるようになったやないか、
それでいいんや、オマエはダサい、しっかりダサい。
今夜キチュウさんはため息交じりにそのことを愚痴っていたのであった。
その言を聞いた、たこの歌手安藤さんの怒りは頂点に達した。
「何言ってんだ!キチュウ!それなら何か?オマエの今のダサさはわざとなのか?演出なのか?違うだろう!オマエのダサさは天性のものだ!」
安藤さんはひとつ大きな勘違いをしている。
キチュウさんは『わざとダサい歌を作った』とは言っていない、
それはすうじぃ氏の解釈である。
ここから周りを巻き込んでの大論争になった。
キチュウのダサさはわざとなのか、それとも天性のものなのか。
この論争の凄まじさはあるひとつの大前提に基づいて為されているところにある。
『キチュウはダサい』という大前提に。
(髪型が森昌子)
『キチュウわざとダサい説』を論じたすうじぃ氏がこの席にいないため、
周りの大方が『キチュウ天性のダサさ説』を支持する向きであった。
ある学者はこんなことを言った、
「キチュウのダサさは身体からにじみ出ているものや。」
またある学者はこんなことを言った、
「キチュウのダサさは才能や。」
神様が与え給うた、たった一つの才能や。
(姿かたちはSBガンダム)
わたしは、いささか腹が立ってきた。
キチュウさんはダサくなんかない。
そこに立脚した議論の余地はないのか!
わたしの尊敬する先輩、
わたしの尊敬する、キチュウさんはダサくなんかない!
ちょっとしか!
わたしはたまりかねた。
たまりかねたわたしは議論のあいだに割って入り、キチュウさんに問うた。
そもそも論争を、この大論争を巻き起こした、
あうんさん すうじぃ氏が聴いたキチュウさんの新曲ってどんな歌なのだろうか、と。
キチュウさんは、ゆっくり口を開き新曲の題名を教えてくれた。
『ダイアモンド☆ダイナマイト』っていう・・・
ダサっ!
しっかりダサかった!
神は与え給うてました。
天性のダサさを。