第460話 日本語について

日本語について考える機会があった。
今回の主題は『自粛』。
『自粛』ってなんなのだろう。
『自粛』というとりとめもない主題を加藤さんという数奇な運命を辿る人間を通して考えてみた。

加藤さんが『自粛』を宣言したのは昨年の11月のこと。
原因の一旦を加藤さんが担い、ひとつのイベントがつぶれかけた。
そして、加藤さんは多大なる迷惑をかけた事を関係者に詫び自らの音楽活動の自粛を宣言したのであった。
が、どうやら、事実誤認があるようだ。

加藤さん、自粛自粛と言っていますが、
実はマッカーサーアコンチ以外にもう一つバンドをやっていて、
そのバンドのライブには出演しておるわけです。
「あれ?自粛はもうええの?」って聞いたらこんな答えが返ってくるんです。


「畑が違うので・・・」



(あらあら、なんのことですことやら)


曰く、アチャコさんやサンデーさんの出てるライブハウスや共演者、つまりシーンが違うのでバレないじゃないですか、だから大丈夫なんです。
つまり、加藤さんが粛している(粛:慎む)相手というのはアチャコさんでありサンデーさんなわけです。
イベント及びイベント関係者に迷惑をかけて自粛するといった場合、自粛する相手はイベント及びイベント関係者に対してではないとならないと思うのですが、どうでしょう。
さらに言うと、どうやら彼は自ら粛しているのではなく、
アチャコさんサンデーさんに「しばらく大人しくしとけ、オマエはそれくらいの事をしたのだから」と規制を受けているようなのです。
それを彼は神妙な顔をして、さも反省しているようなそぶりで『自粛』と言っているにすぎないのです。

一葉の写真を見てもらいたい。
新年1月4日に神戸で撮影された写真である。



気持ちよさそうにステージでトランペットを吹く氏。
わたしはこの写真をSNSサイトを使い世界に発信した。
このような文言を添えて。

「加藤さん、あんた自粛自粛言うてるけど、ホンマは出たくて出たくてしょうがない人やん」

すると即座に加藤さんからメールがきた。




(出たいとは思っているが、「でたいでたい」とは思っていない)


なんやねん、この文章は・・・


出来そこないのフランケンシュタインやないか。
出来そこないのフランケンシュタインの赤ちゃんやないか。
なんかね、ボク思うんです、
加藤さん、色々不義理働いたりしょうもないことばかりして怒られてますけども、
一番かわいそうなのは加藤さんなんですよね・・・
『かわいそうな象』よりかわいそうや、不憫や、こんなアホで。
こんなんありえへんやん。



(お礼を言って、怒って、謝って謝って謝って、最終的にそういうこんか!)


あんたは元気なだけではあかん